目次 第1章:グローバル化 第1節:世界規模での経済統合がすべての始まり グローバル化は世界のスクランブル グローバル化で経済は進化する 観光産業はグローバル化の典型 一九七〇年からはグローバル化の発展期? 国際提携はグローバル化の定石 国家を超えてボーダレス化 地球規模での労働市場の出現 グローバル化で民族のアイデンティティは消滅 日本はアジアの国でない 伝統か、近代か 第2節:再帰的近代化は統合と反統合のせめぎあい 統合と反統合の共存というパラドックス 反統合はグローバルな潮流 統合と反統合の共存は一九九〇年代には事実 反統合は西洋世界にも存在 統合と反統合のせめぎあい 再帰的近代化によって危険社会へ進化 富の生産より危険の分配 統合と反統合の弁証法としての創造的自己破壊 サンタル社会のせめぎあい テーゼとアンチテーゼの逆転 第3節:グローバル化は世界を同時代化する 見通しがつかない空間の再構成 インディオ社会の変容の分かりにくさ 国民国家ペルーの「農民」というアイデンティティ 遠隔地の影響は再帰的近代化の引きがね 存在が不在に圧倒される 国際援助は同時代化を促進 タンザニアのバラバイガに事例をとれば サバンナの遊牧地を小麦農場に 国際的異議申立ての結果は? 第4節:再帰的近代化で伝統社会がよみがえる ポスト伝統社会の出現 地域のコンテクストの再帰的な再建 グローバル化の意味をさらに広くとれば グローバル化は統合的であるとともに破砕的 アイデンティティの破砕と再建 ジャワの影絵芝居の再帰的変容 カセットテープの村文化への「埋め込み」 国家的アイデンティティとしての影絵芝居 都会の知識人が真正性を判定 村の影絵芝居は周辺化 カセットテープは複雑な存在 伝統と対立するのは近代でなく疎外 第5節:再帰した伝統がアイデンティティとなる イヌイットはポスト伝統社会人 定住化は「国民化」 貨幣経済で「ケチ」になる 互酬性という与え合う伝統 ハンター・サポート・プログラムは互酬性の再帰 近代的互助制度ももうひとつの伝統再帰 新しい伝統の困難 伝統をアイデンティティとする近代人 第2章:日本の国民文化 第1節:国民国家はアイデンティティをスポンサーする 国民国家はグローバルで伝統的 日本はグローバル化のグローカルな実践の先駆者 真正日本人を再帰的に創り出す 真正日本人のアイデンティティはタテ型社会 甘えはタテ型社会の凝集力 甘えが企業文化になれば アイデンティティは人間究極の拠り所 企業文化は自明の現実というアイデンティティ 第2節:再帰的近代人・間人(かんじん)が日本の国民文化をリードする 間人は真正日本人の決定版 個人主義は全面否定 社会的人間とはなにかという問いが今必要 タテ型社会では関係が人を作る アメリカ社会では人が関係を作る 伝統社会にも個は生まれる メラネシアのビッグマンは個人主義者か 新しい社会は個が創る 選択の主体は誰 間人の倫理は普遍化できるか 第3節:再帰的近代人は進化できるか ヨーロッパでも個人主義の流行は十九世紀 倫理もまた進化する 倫理の主体はどこに 仮面が無ければ仮面使いも出現しない 人格という一貫性は革命的 一貫性が個の倫理 創造的自己破壊の担い手は個人 義理は仮面 いやいやする義理は不誠実 暖かい義理は仮面でない 人情は暖かい義理 義理人情は再帰的近代化の価値として不動 第4節:アメリカ社会は解体してから再出発する 集団と個の見取り図 限定コードの使用は自己限定 精密コードで場を超える 社会という場を超えられるのは個人 社会の凝集と解体 アメリカの解体は終わり 新しいアメリカはチームワークが好き アメリカのチームワークは自発的ネットワーキング 参加は個人の選択 人の能力を見抜くのも能力 ペルソナージュのフンディは社会的役割の自然発生 人のフンディはまねできない 第5節:日本の国民文化は周辺を作り出す 間人は「全人格的」存在 『人生案内』の時代区分はグローバル化と平行 高度成長期は帰属によるアイデンティティも成長 落ちこぼれれば見捨てられる 豊かな時代は間人の時代 表出の場の無い精神はどこへ 危機管理には向かない間人 間人は進化できるか 周辺化されてきた積極的個人主義 さしあたっては間人と個人主義者の接点を作ること 第3章:儀礼によるアイデンティティの創出 第1節:国民文化の周辺部は、西洋近代と問題を共有する。 国民文化には周辺ができる アイデンティティ・クライシス 経験の消去は他者の消去 文化という記憶が現実感覚を保証 身体は記憶する 経験は文字にも記憶される 身体は文字によってプライベート化 心身二元論という副作用 日本文化の周辺部にも心身の分離 ポスト近代主義は二元論超克の試み カウンター・カルチャーの典型的な主張 儀礼の新たなる登場 現実感覚体験の場としての儀礼 身体は儀礼の場 儀礼の力は反復 儀礼は記憶を伝統化する 第2節:アイデンティティの選択肢として宗教が現われる 周辺の実験としての宗教集団 世界真光文明教団の沿革 知には骨格がある 複雑な教義の骨格は時間と空間 教義は統覚の集合 統覚は人格に収束する 自己はたえず再帰する運動体 伝統社会の自己は「運命」 再帰した儀礼は近代と折り合えるか 儀礼のパラダイムは聖なる仲介者を必要とする 第3節:儀礼は自己の明証性と他者の経験を必然化する お浄めのリアリティが教団の凝集力 聖なる仲介者は憑依霊 経験は個別でも意味は普遍 憑祓は聖なる仲介者との交流 フィールドノートから 霊を納得させる努力 霊という他者の発見 思いどおりにならないのが他者 霊だけでなく人も他者 要請される自発性 経験を共有する他者が仲間 第4節:経験を共有する共同体への帰属がアイデンティティとなる 儀礼経験の個性化はライフストーリー ライフストーリーの始まりは不幸な出来事 体験に居直る 儀礼共同体は自発的小集団の集合 自然発生するヨコ型社会 参加・退団は御自由 霊動の意味づけが自己形成 霊も人も自分から進んで 自発性に形を与える 御み霊の保持は意味の実践 形と意味は一体 組織上の昇進は象徴的上昇と一体 宗教運動としての開かれた教団 恨みの霊は怖い他者 他者にもバラエティがある 恨みのパラダイムは国民文化? おわりに 註 文献表 後書き copyright 2000, Kuniko Miyanaga. all rights reserved |