『グローバル社会のアイデンティティ実験記録』
(「はじめに」と「第1章」の冒頭)

好評発売中



はじめに 

  六人全員が、「自分探し」をやっている。初めは、本当にそうだった。どうしようもなく、そうだった。六人の参加者と一人の指導者が、アメリカは東海岸のボストンにやってきた。目的は、グローバル化対応、実験的海外体験である。結果を現地の大学(ハーバード)で、研究発表をする予定になっている。

  出てくる前に、ずいぶん準備をした。しかしいったん、海外に来てみると、思ったようには行かなかった。きっかけをつかむことができない。どんなことがあっても、掴めるまで頑張ります。いったん日本を出たら、逃げませんと約束してくれた。でも皆さん、日本に居た時と同じ姿勢で、穴を掘っては、もぐって逃げようとする。本書は、いってみれば、逃げる参加者と、先回りして捕まえようとするわたくしの、追いかけごっこの記録である。

  参加者達は、眼のまえの現実に対応できない。だからもちろん逃げたくなる。わたくしのほうでは、到達点は予定しているが、参加者の自分探しと、どう結ぶか試行錯誤だ。もちろん、皆さんのとまどいは、予想していた。異文化経験は、とまどいから始まる。けれども現実には予想を、はるかに越えたものがあった。このとまどいをふつうは、本人も指導者も誤差に入れてしまうので、なかなかそこから脱却できないのだ。

  それから一年半経って、本書出版の運びとなった。当時「自分探し」ばっかりだったときには、グローバル化対応はどこへ行った、と悲しいぐらいだったのに、今になってみると、皆さん驚くほど成長している。文章の書けなかった人たちは、書けるようになった。本人は、「言葉が出てくるようになったのです」と、自分に驚いている。昔を知らない人たちは、「え、前は表現力無かったのですか、まさかあの人が?」と、本人以上の驚き方だ。書けるようになったのは、偶然ではない。試行錯誤の結果得たものだ。まだ書けない人たちも、観察力がついたし、何よりも、自分でものを考えるようになった。しかし、観察や考えが表現できなければ苦しい。みんな、しかし、いいところまで行っている。あと一歩。

  わたくし自身も、試行錯誤した。実験すると言うのが、最初からの約束だったから、いろいろやらせてもらった。その結果は、最後の章にまとめてある。このまとめをもとにして、グローバル化対応策をシステム化した。このシステムを使うと、現在の自分を失わずに、マルチ人間に成長することができる。試行錯誤に伴うリスクを回避できる。本当は、試行錯誤が面白いのだけれど、仕事でどうしてもという人にとっては、迷わず結果を獲得できることは必要だ。今年の夏は、本書の参加者の一部と、新しい参加者を加え、システムを使って、研修を行うことになっている。本書の参加者は、当時全員が学生だったが、次回からは社会人が中心となる。本書を「学生編」とすれば、次は「社会人編」である。



第1章:自分探し 

・参加者紹介

  主な参加者は、以下の七人。教師のわたくしは、現時点では、外国の大学に籍をおき、研究に専念中。専門は社会人類学である。人間とは何かを知りたい。それも、人間の社会的な可能性はいかに、という問いに答えたい。とくにグローバル化は、世界を政治的、軍事的には秩序化するが、文化的にはスクランブルする。案外分かりにくい。対応は現時点では、積極的に出るか、逃げるかに、二極分解している。わたくし達七人は、積極的対応が希望である。そのための実験だ。

中略

  合宿者の全員に報告を、メールで毎日送ってもらった。参加に先立って、報告書を送ることと、それを後でまとめて出版することを条件とした。報告は原稿用紙にすれば、全体で二千枚近くあり、本書で公表するのは、ほんの一部である。


・自己変革希求型 

  当面の目標は、現地の大学での発表にある。ここに集中して欲しい。この願いを知ってか、知らずか、参加者は、自分探しに夢中だった。自分探しの内容を始めから、自己変革と定義したのは、吉田登だった。「今度の旅行の目的は、自己変革です」と言いきった。(しかしこれがどう、発表と結びつくのか。)かれは文学と哲学専攻で、自己に深く沈んでいる。考える葦である。こころのひだまで汲み取って、独特な文章にする。

    (吉田) これまで起こったことを日記にしてみました。 はじめて海外へ行くので、自分に起こっていることが、現実のことかどうか分からなくなる。夢のなかで僕が、もう一人の彫像のように動かない自分に触れながら、これは果たして自分だろうか、と疑っている。日本の外へ出るということは自分にとっては、圧倒的な非現実感だった。

     成田で、搭乗手続や荷物検査を、現実感もなく、心の余裕もなく、ただ流れに従ってする。長い待ち時間を経て、ようやく飛行機に搭乗する。機内の様子、雰囲気は、まったく異質な感じがした。自分がマイナーな立場に置かれている。そういう事実に初めて、直面したということだ。その空気の威圧感に萎縮しながら、アメリカへ向けて離陸する。

自文化を出たという実感を、非現実感と萎縮する自己として、吉田は経験する。

     機内ではスチュワーデスが、食事や飲み物を運んでくるたび、いちいち緊張していた。意思を確かめられている、と思って、はっきり声にして伝えようとするが、蚊の鳴くような声しか出せない。

     黒人のスチュワーデスに、リモコンを席から外せなくなったことを伝えようと思った。英語で「すいません、取り外せないんですが」と言うと、その人は「へぇー」と言ったまま離れていった 。事態がうまく飲み込めなかったが、だんだん暗く沈んだ気分になる。本木君に伝えることもできなかった。最初から、大変衝撃を受ける。 

     別のスチュワーデスに、トイレの場所を聞いても、何一つ理解できない。これからのことも考えあわせて、どうしようもなく不安になった。


・ カルチャー・ショック 

  ボストンの空港到着後、吉田はショックでしたを繰り返していた。ふつうパッケージの観光旅行では、吉田の経験した異文化ショックを、できるだけ避けるように構成されている。安全に楽しい経験をするために、お金を払う。しかし吉田は、自己変革のために来たのだから、むしろショックを求めているようなところがある。

    (吉田)今日はスーパーマーケットの場所を教えてもらって、初めてアメリカでものを買う。空の色も木々も太陽も日本と変わらないのに、文化だけが違うことに不思議な感じを持った。

そして、

    (吉田) 午後は図書館へ行く。拙い英語で「コンピューターがしたい」と言ったら、東洋人の受付の人に、鬼のような形相で睨まれる 。何か失礼なことをしたか、言ったのだろう。受付に行くことがこれほど緊張を要することだとは思わなかった。スーパーで買い物をしても、レジを通らなくてはならない。ただ商品を見て回ることさえ、強いストレスを感じながら、ぐったりと疲れて家に帰る。






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